カラオケ亡国論
新・東越谷通信に「銀座で酒を飲む場合」という話が披露されている。遡ると擬藤岡屋日記の「銀座の雀?」、CLASSICAの「文壇」と続くのだが。
で、当方は銀座と言っても、「クラブ」はおろか「バー」にも言ったことはない(と思う、多分)。ショット・バーは地元のある店に通い続けている。最盛期(15年くらい前か)には、飲み会を2軒ぐらい山手線の内側でやっつけて、終電近くに吉祥寺に戻り、そのあと2時間くらい一人で止まり木、何てこともしていたのであるが、最近は体もいたわるようになり、そう無茶はしない。
といって(話を銀座に戻すと)、和民とか北の家族とかではなく、職場の飲み会は結構銀座にセットされたりする。おそらく銀座にあっては新興勢力の、エスニック系の店や、中の上(というのも微妙な言い方だが)のイタリア系ないし和食系である。こういう店は、表通りの大きなビルの7階などに位置していたりする。
まあ、こういうのは「銀座」とは言えないのだろうな、とは思うが。
あ、付け加えると、「ライオン」は好きである。あのモザイク画?はまだ健在であろうか。
ところで、本題は、謎の編集人@新・東越谷通信氏の、「酒とつまみと、共に飲む仲間との気のおけない会話以外に、何らの付加価値を見出し得ない性分」と言うところから来ている。これは、賛同しますねぇ、深く。まあ、じっと棚に並んだウィスキーボトルを見ながら、じーーっと黙っている、と言うのもありではあるが。これも、考えれば、自分との会話をしているのですよね。
で、カラオケである。カラオケは嫌いである。カラオケは会話を阻害するからである。カラオケでは、歌う人、選曲する人がその場の大多数となり、会話可能性が減る。おまけにウルサイので会話が成り立たない。これは客同士についても言えることであるし、同様にお店の方との会話というのも成り立たない、というか、会話する手間を省くために、あるいは会話する能力のない店員でも店が成り立つように、カラオケが導入されたのだと、私は信じている。ニワトリと卵かもしれないが。
昨今の企業人が新入社員に求める力の上位には、コミュニケーション力というのが来るそうだが(これは言うまでもなく「最近の若い者」にはコミュニケーション力が足りないとお嘆きの諸兄が多いということ)、カラオケなどの隆盛を許しておきながらそのようなことを口にするのは、天に唾するようなものではあるまいか。


Recent Comments