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2005.05.26

「雨の歌」

週末にブラームスを聴いた。田舎家の納屋を改装した150人ほども入れば一杯になる会場で、ヴァイオリン・ソナタの1番と2番、そして、それぞれと作曲年代が近かったりモチーフ的にも関連の深い歌曲を数曲という趣味の良いプログラムだった。パリからフォンテヌブローを越えた先の村に集ったのは近隣の人や主催者の個人的な知り合いの人ばかりで、インティメートな会だった。

「雨の歌」の歌曲とソナタを続けて聞いたのは初めてだったし、ソナタ第2番の楽想が随所に顔を出す「我がまどろみはいよいよ浅く」(作品105の2)という歌曲の存在を知ったのは収穫だった。

この企画の音楽面の構成を担当したピアニストによれば、「雨の歌」(ソナタの方)の第2楽章は、ブラームスが可愛がっていたフェリックス・シューマン(大作曲家の末子、25才で夭折)との永久の別れの音楽なのだそうだ。この楽章はベートーヴェンの「告別」ソナタを踏まえたものだそうで。いろいろためになった。

ところで話はがらっと変わるのだが、この「雨の歌」のソナタ、最初に持っていて聞いていたレコードはチェロとピアノの版のもので、堤剛と中村紘子の協演したものだった。もちろんCDにはなっていない(多分)。そのことは大して重要ではないのだが、そんなことより、このレコード、たしか傷を付けてしまって、第1楽章のある部分に来ると針が先に進まなくなってしまったのだった。でも、この盤しか持っていなかったので、そこまで聞いて針を上げてほんの少し先に進めて続きを聞く、と言うことをやっていた。

それがすり込みになっているもので、この曲を聞いていると、その部分で不思議なことが起きる。先日の演奏会でもそうだった。その部分にさしかかると、その場での実際の演奏より一瞬先んじてワタクシの頭の中で鳴っている音楽は、その「ボツ」という音から始まる(というか、その音と共に数秒前に強制的に戻される)無限ループに入ってしまう。聞こえてくるだろうと無意識に予想している音と実際の音が、ズボンの中のおならのように、右と左に泣き別れ、となってしまい、そうすると、何とも居心地の悪いよりどころを失ったようなクラクラする感覚の時間をしばらく経ないと、正常鑑賞態勢に戻れない。

ワタクシの場合、マーラーの5番の2楽章でも同じことが起きる。そうなった原因の盤はバーンスタイン/NYPのCBSソニー盤。クリーム色がかった白と青色のツートンカラーのレーベルだった、とつまらないことばかり思い出す。

ブラームスのヴァイオリン・ソナタの演奏、今好きなのはブッシュ・ゼルキン(1931&32年録音)のもの。

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