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2005.06.11

音階の音楽家

一昨日エントリを書いたバーンスタインの名曲解説?盤、聞き終えました。

解説が充実しているのはベートーヴェン、ブラームス、シューマン。「悲愴」と「新世界」は、世間の誤解を解くということに終始している観がありました。ただ、それはそれでなかなか面白いものですが。

チャイコフスキーに対する「誤解」は、交響曲とは言ってもバレエに毛が生えたようなもの(「交響曲らしい」ちゃんとした構成を欠く)で(これってバレエ音楽にも失礼だと思いますがそれはともかく)、メロディは綺麗だけれど、、、というもの。バーンスタインは、チャイコフスキーが、音階と4度音程を骨組みとしてがっちりと組み立て上げてていることを執拗なくらい例を挙げ紹介しています。

ドヴォルザークの方は、この曲は「アメリカ的」ではない、という「誤解」を渡航というものですが、そもそも、この曲、50年代のアメリカではそう受け止められていたんでしょうか。素材的には新世界のものを使ってはいるでしょうが、ワタクシは「アメリカ的」なんて思ったこともありません。当時のバーンスタインにとっては、愛憎半ばするというか、そこまで行かなくても微妙な気持ちを持たざるをえない曲(と状況)だったのかもしれません。黒人霊歌からの借用はあるけれど、もっとユニヴァーサルな五音音階という枠組みの中で捉えるべきとか、和音の付け方はまったくドイツ的(中国的にも響かせてみせることもピアノでしています)とか、ここはJAZZYと言われるけれど(そんなことワタクシは感じたこともなかった)そんなことはない、とか、ここはブギウギ的だと言われるけれど(そんなことワタクシは(以下同文)、とか、なかなか、躍起になって否定しているようにも見えて、興味深いものです。解説の終わりの方で、本当のアメリカ音楽は、ハリスやコープランドを待つ必要があったとか何とか言っていることですし。
ところで、この曲でただ1回だけのシンバルに導かれる第4楽章の箇所は「タンホイザー」のエコーである、という指摘には、なるほどねぇ、と思いました。

タイトルの「音階の音楽家」ですが、チャイコフスキーについての解説を聞いているときに、そういえば、吉田秀和にもそう言うタイトルの文章があったなぁ、と思い出したのでした。誰の何の曲が挙げられてどう書かれているのか忘れましたが(モーツァルトはありました、チャイコフスキーはあったかなぁ、、)、当時、こういう視点で文章が書けるんだなぁ、と感心した記憶があります。でもこうしてみると、案外、着想(というか曲の分析)としては非凡というものでもなかったのかも(といって、バーンスタインと吉田秀和で平凡の例には出来ませんが)、と振り返ったりしたことでした。

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Comments

コメントありがとうございます。>Schweizer_Musikさん

あ、オルゲルプンクトのことは、バーンスタインも触れていました。

素人ながら、知情意のバランスがとれた(ではなく、それぞれに秀でた、でしょうね)創作というのはなかなか難しいことだろうなぁ、と思ったりします。

Posted by: ガーター亭亭主 | 2005.06.17 at 09:15 PM

こんにちは!
チャイコフスキーの音階については、私も随分いろんなところで説明してきています。交響曲第5番の第2楽章のあの美しいチェロの分奏のバスがその例ですが、その後のバスがほとんど順次進行なのです。(しかし、あの音楽はそうそう書けるものではなく、凄いものだと思います)
「悲愴」もその例には事欠きませんが、バスの保続音(オルガン・ポイント)などと共にチャイコフスキーの一つの個性であり、こだわりだったのでしょう。
実際に和音を考えないでメロディーを書くことは、多くの識者たちが戒めるところなのですが、和音を意識しすぎるとどうしてもメロディーに「ノビ」がなくなり、良い(気に入った)メロディーが書きにくいものなのですが、チャイコフスキーは本当に素晴らしいものだと思います。

Posted by: Schweizer_Musik | 2005.06.16 at 09:32 AM

コメントどうもです。>坂本くん
ワタクシの書き方が悪かったんですが、ワタクシの疑問は「そもそも当時アメリカでは、この曲はアメリカ的である、と思われていたのだろうか?」というものでした。ワタクシ自身はアメリカ的であると思ったことがないものですから。

いずれにしても、バーンスタインには思い入れ、と言うか、こだわりのあるポイントなんでしょうね。

我々が「マダムバタフライは日本的」と言われたら反発するようなものでしょうかね。

Posted by: ガーター亭亭主 | 2005.06.12 at 02:24 PM

こん○○は。
バーンスタインの「アメリカ音楽」観については、「ヤング・ピープルズ・コンサート」シリーズ中の「アメリカ音楽ってなに?」という1巻で自説を展開しています。その中でも確かに「新世界」は「アメリカ的でない」と断じてました。
このあとバーンスタインは自分なりの「アメリカ音楽」観を表明していくのですが、番組を見た限りでは、「新世界=非アメリカ」というのは当時の米国の共通認識というより、彼の独自の解釈のような気がしました。
「この部分がジャズだ」とか「ブギウギだ」とかいうのも、彼のユニークな音楽解釈の一例ですね。こう言ってのけるところが「バーンスタインらしさ」なのだと思います。私は彼が某ロック雑誌(!)のインタビューで、シベリウスの交響曲第1番のある部分を指して「これは(ユダヤ教の)ラビの音楽だ」(!!!!!)と語っているのを見たことがあります。

Posted by: 「坂本くん」 | 2005.06.12 at 09:06 AM

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チャイコフスキーに音階に対するこだわりについてちょっと書いてみたい。 まず彼の有名な歌曲「ただ憧れを知る人のみ」の楽譜をみてほしい。歌が始まってすぐ、バス・ラインがずっと順次進行で下がっていくが、これなどは典型の一つだ。全ての部分がこうした和声を使っているということではないが、かなり強引な解釈でもってバス・ラインを選んでいることもまた事実である。 もう一つ。誰もが知っている名作「白鳥の湖」の「情景」の一部をあげておこう。美しいメロディー・ラインもまた音階(スケール)で出来ているが、こうしたス... [Read More]

Tracked on 2005.06.19 at 04:07 PM

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