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2005.08.10

音楽家の道(6)~J.S.バッハ

いわゆる3大Bの一人、ベートーヴェンは堂々本シリーズの第一回を飾りましたが、他の2人の通りは、ということで、今回はJ.S.バッハ通りです。

bach1

J.S.バッハ通りがあるのは、パリ南東部の外れと言っていい13区、中華街とセーヌ川(ミッテラン図書館の辺り)の中間です。ミッテラン図書館などという新しい大きな建物があるということは、再開発を行った地区ということで、その近くですから、いわゆる「パリらしい」風景とはひと味違ったところです。長さ140メートル、幅15メートルという何の変哲もない通りです。

bach2

ちょっと大バッハの名を冠した通りとしては寂しいところで、しかも命名は1954年。通り自体が出来たのは1938年とのことですが、その間何という名だったのかは分かりません。
フランスにおいてバッハの重要性が一般的になるのがここまで遅いということは思えませんので、やはり、これはドイツの作曲家だったために、普仏戦争、両大戦の時代には命名はできなかった、ということではないかと思います。
しかし、この通りがバッハ通りになる以前、実は1942年11月26日から45年7月7日までの間、パリにはバッハ通りが存在しました。現在はアンリ・エーヌ通りとなっている通り(16区)です。というより、この通りは1886年からアンリ・エーヌ通りだったのですが、上に書いた2年半の間だけバッハ通りとなっていたのです。お気づきのようにこれはナチス・ドイツによるパリ占領下の出来事です。では、占領下にフランス人名をやめてドイツ人名の通りにしたのかというと、そうではありません。なぜなら、アンリ・エーヌというのはハインリッヒ・ハイネのフランス語読みだからです。
パリ占領が始まったのは1940年ですが、通りの名が変えられたのは1942年です。この年の1月、ナチスはユダヤ人絶滅政策を決定したのです。ユダヤ人であるハイネの通りの名もこれによってバッハに置き換えられてしまったということなのです。

探っていくと結構重い過去のあるバッハ通り、その代わりといっては何ですが、上の写真にあるようにバッハの「肩書き」が「作曲家」ではなく「音楽家」となっているのは、なかなか、と思わせます(名前はヨハンでなくジャンですが)。

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