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2006.01.28

ブルク劇場コンサートの再現

1783年3月23日にモーツァルトがウィーンのブルク劇場で開いた演奏会を再現するというふれこみの演奏会に行ってきました。シャンゼリゼ劇場で、ツァハリアス率いるローザンヌ室内オーケストラの出演です。

この演奏会は、その6日後にモーツァルトがザルツブルクの父親へその大成功を知らせた手紙により、曲目が明らかになっています。今の感覚から見ると大分変わったプログラミングで、ハフナー交響曲がオープニングとシメに(多分)分割されて演奏され、その間にオペラのアリアやコンサートアリア、ピアノ協奏曲が2曲、ピアノのソロ(即興演奏を含む)が3曲、ポストホルン・セレナードから2曲といった具合です。

その手紙は今回の演奏会のプログラムにも仏語訳が掲載されていましたが、曲目については、以下のとおり記述されています。

1.新しい交響曲「ハフナー」
2.ランゲ夫人がミュンヘンでのオペラからの4つの楽器付きのアリア「もし、私が父上を失い」を歌いました。
3.私が予約[演奏会]の協奏曲の第3番を演奏しました。
4.アダムベルガーがパウムガルテン[伯爵夫人]のシェーナを歌いました。
5.最後のフィナールムジークからの小さな協奏交響曲
6.私が当地でとても人気のあるニ長調の協奏曲とお父さんにお送りしたその差し替えのロンドを演奏しました。
7.タイバー嬢が私のミラノでの最後のオペラからのシェーナ「私は行く、私は急ぐ」を歌いました。
8.私が一人で小さなフーガ(皇帝がご臨席だったので)を演奏し、「哲学者たち」というオペラのアリアに基づく変奏をしました。私は更に演奏しなければならず、そして「メッカの巡礼」のアリア「愚民の思うに」基づく変奏をしました。
9.ランゲ夫人が私の新しいロンドを歌いました。
10.最初の交響曲の最終楽章

この1783年3月23日の演奏会の再現は、2002年に東京でも行われていてここでちゃんとした曲目一覧を見られます。ききどころなる文章も参考になるもので、こういうものが、3年たっても見られる状態にしてあるというのはとても良いことです。

それから、大分前(もしかして1991年の没後200年?)にNHKFMで、モーツァルトの演奏会の再現、というのが放送されたのを聞いた記憶があります。、それがこの1783年3月23日のものか覚えていないのですが、やはりこういうごった煮のようなプログラムで、CDなどによる再現ではなく、ライブでやっていた(演奏会だったのかスタジオライブだったのかは覚えていません)ように記憶しています。どなたか、これについて、覚えていらっしゃる方はいるでしょうか??

閑話休題。この演奏会、とても興味深いものでした。プログラムを眺めているときより遙かに明瞭に、これはモーツァルトのオンステージなのだということが分かりました。それと、全体に名人芸の披露という趣であること。モーツァルトのピアノ演奏というものが多くを占めるわけですし、それでない部分は、ハフナー交響曲を除けば、歌か(これもかなり技巧的な曲が多かった)、ポストホルンセレナードの中の木管がバリバリに活躍する協奏交響曲の楽章ですから。こうしてみると、モーツァルトにとっては(少なくともウィーンで大活躍していた頃は)交響曲なんかよりピアノ協奏曲だという山尾さんが年頭に紹介していたことが身をもって(?)分かります。ハフナーなんか分割されちゃって、しかも始めと終わりの挨拶みたいな感じですから。

演奏も悪くなかったです。歌手の人はちょっと苦しいところもあったけれど、オーケストラとピアノは闊達で生き生きとした演奏でした。特に木管がみんな「オレが主役」っていう感じだったのも、この演奏会の趣旨には合致したものだったかも。

ですが、どうせやるなら、モダン楽器にコンサートグランドではなく聞きたかったなぁ、とは思います。編成が小さく若干ビブラートも押さえ気味だったので、「フルオーケストラによるモーツァルト」ではなかったけれど、でも、「再現」ということに重きを置く演奏会なのだから、そこはこだわって欲しかったところです。ピアノはなおさら。

もう一つ、実は曲目も当時の忠実な再現ではありませんでした。
ハフナー(1,2楽章)、「イドメネオ」のアリア、レチタティーヴォとアリア、ポストホルンセレナード(3,4楽章)、ハ長調の協奏曲(K.415)、<ここで休憩>「哲学者達」の変奏曲、ニ長調の協奏曲(K.175)、「ルーチォ・シッラ」のアリア、レチタティーヴォとロンド、ハフナー(3,4楽章)と、こういうものでした。

時間の都合があったのでしょうか、ソロが2曲カットされています。もっとも、モーツァルトの手紙によると、即興演奏(フーガ)は皇帝がご臨席されたため演奏され、そして「メッカの巡礼」の変奏曲はアンコールだったようにもとれなくもないですから、それで今回は演奏しなかったのかもしれません。ただ、そもそもプログラムなるものが当時事前に発表されていたのかどうか。。。本プロもアンコールも(少なくともお客にとっては)違いはなかったんじゃないかなぁという気もします。

それと、ニ長調の協奏曲は、当夜初めて聴く曲だったので自信はありませんが、後になってナクソスの音源を聞き返してみると(本当に便利です、ミュージックライブラリー)、どうも終楽章はK.382のロンドではなく、元々の第3楽章が演奏されたようです。その後ウィーン時代になってから第3楽章の代わりとして作曲されたロンドではなく。このロンドはベートーヴェンの「大フーガ」みたいなものですね。もっともアレはそっちがオリジナルの終楽章だけれど。

ただ、モーツァルトの手紙はそのまま読むと、K.175を3楽章とも全部演奏してその後にロンドをやったように読めるんです。そうやったのが、2002年東京バージョン。でも、このロンドは3楽章の「代わりとして」作られたのだから、ロンドをやるんだったらオリジナルの第3楽章はやらないのが正解ではないのかなぁ。

で、曲順もモーツァルトの手紙(そしてそれを再現した東京バージョン)とは大分違っています。実際の演奏家の出し入れとかそういうことを考慮したのでしょうか。声楽をひとまとめにして、ハ長調の協奏曲を前半の最後にもってきています。まあ、今の感覚から言うとこの方が「締まる」し、シンメトリカルな感じもしますが、もともとごった煮が当時のコンセプトだったのだろうから、この変更はちょっと頂けません。
あと、ハフナーの分け方。「手紙」によれば、最初に演奏されたのは「交響曲」、最後に演奏されたのは「最初の交響曲の最後の楽章(単数)」となっています。ここからは、1~3、4という分け方と1~4,4という分け方(というか4楽章は二度演奏する)の可能性があります。前者は2002年東京版。2楽章ずつ最初と最後に分けるという今回のやり方は、バランスが良い(またも「今」の感覚)ということなのでしょうが、この変更もオリジナルなアイデアを歪めるものという気がします。

ということで、かなり長々と書きましたが、今回の演奏会、非常に面白い試みで演奏も悪くなかったけれど、いくつかの点で詰めが甘かったのではないかなぁ、というのが感想です。もちろん、そこまで追究せず、最低限現代に適合させるというやり方もあるとは思いますが。。。

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Comments

Az猫ロメさま
すごく間の開いたコメントですみません。
モーツァルトの手紙は、当日のプログラムに掲載されていたものなのですが、そこにはアンコールという表現はありませんでした(415にも175にも)。ただ、素直に考えると175をやった後にアンコールで382をやったという風に読めますよね。
もしかすると海老沢氏はモーツァルトの手紙以外にも何かの記録を参照されているのかもしれません。

でも、今与えられている情報だけから考えると、アンコールされたのは382という感じがしますね。

随分、間が空いてしまいましたが、最近、K382のことが気になっていまして、書かせてもらいました。
 海老澤氏はペライヤのモーツァルトのピアノ協奏曲全集の解説の中で、この演奏会では『皇帝ヨーゼフ2世も列席していた。とくにハ長調の作品のロンド楽章が喝采を浴び、アンコールされたという』と書いています。
 このハ長調のロンド楽章を海老澤氏は、K415の第13番の第三楽章と考えておられるようです。
『たしかに、フィナーレ楽章は、きわめて優れた構成をもっており、際立った効果を収めている』と。
 しかし、他書の影響のせいか、私は、このロンド楽章をK382ニ長調とばかりに思っていました。「ありゃ、間違っていたか」というので、海老澤氏の言葉に従って、第13番のフィナーレをペライヤの演奏で何度か「聞き直しましたが」、『はて、演奏会の聴衆が熱狂するほどのロンド楽章なのだろうか?』と感じます。

 K382は、云うまでも無く「三三七」拍子で、日本人なら誰でも知っている、「お囃子音頭」が聞かれる楽しい曲です。そして3月23日の演奏会の「ハフナー」交響曲や第5番のP協奏曲などはいずれも「華々しいリズム」の曲想の気がするのです。

 とはいえ、同じK382でもペライヤの演奏はうきうきするようなリズム感に溢れていますが、ブレンデルの演奏は多少抑え気味です・・・。

 調性の違いという、大きな理由がありますので、何とも云えないのですが、『違うのではないかなー?』と思うことが多々です。

コメントありがとうございます。
当日の演奏はフランスミュージック(ラジオ局)が生中継していたようです。録音も残っているんじゃないでしょうか。東京バージョンはCDに」なっているみたいですね。

いただいたコメントを読んで思ったんですが、いわゆるクラシックの音楽家でこの演奏会の雰囲気に近いのって、フリードリッヒ・グルダだったかもしれませんね。

本当に想像が広がって、色々考えます。面白いです。

TB、ありがとうございます。ツァハリアスがやりそうなことですねえ。ライヴ録音して出せばいいのになあ。こういうコンサートって、もっといろいろな議論やら認識の転換を喚起するものですからねえ。「モーツァルトのオンステージ」というのは確かに。ロック・コンサートと同じく、そのときのヒット曲あり新曲あり「それじゃアンコールに、みんなが聴きたいあの曲をもう一回やるぜ」なんてことだってあったはず。即興演奏もあったろうなあ・・・ということなどを考え出すと、今みたいにホールの都合で9時に終了みたいなこともなかったろうし、みんなが飽きるまでやったのかなとも思えます。想像(妄想?)が広がりますよね。

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