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2006.05.28

音楽家の道(17)~ビゼー

Bizet1

音楽家の道、4ヶ月ぶりの復活です。ビゼー通りは、ダイアナ妃が亡くなったアルマ橋の辺りと凱旋門広場の間といった位置にあります。

上に掲げた写真より、こちらの標識の方が感じが出るかもしれませんね。

Bizet2

写真を撮ったのが夜だったので、あやしい感じの写真ですが、若くして亡くなった薄幸のビゼーらしいかもしれません。

Bizet3


Bizet4

もっとも、ビゼーの音楽には「あ、ビゼー」と常に感じる透明な明るさが常にあって、こんな夜のイメージで語るのは本当はふさわしくないのですが。「カルメン」でも「真珠採り」でも感じるその響きの感覚は、若書きの交響曲でももちろん「ミラクル博士」のような曲でも、常にあります。それはメロディの特質というより、音の重ね方というか、地中海的というのが当を得ているかどうか分かりませんが、そういうものです。

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Comments

あがるま 様
ご来訪、歓迎致します。また、コメントありがとうございました。

さて、タネ本を読み返してみました。

このジョルジュ・ビゼー通り、元は「洗濯女通り」と呼ばれていたのが、19世紀にこの辺りの地主だったビゼーという人が道の整備を行い(まっすぐにしたり拡張したみたいです)、1832年からはビゼー通りという名前になったのだそうです。
それが、作曲家のビゼーの名前(ファーストネーム付きで)にとって替わったのは、1904年のことだそうですが、その地主のビゼーと作曲家のビゼーの関係は、本には書いてありませんでした。何か親類ででもあるのでしょうかねぇ。

さて、もう一つのガブリエル・ピエルネ・スクエアですが、建物を取り壊した跡地に1938年に作られたものだそうです。ピエルネが亡くなったのは37年ですから死の翌年に名前を冠した公園ができたことになりますね。
さて、何故ここがピエルネ公園かなのですが、「彼はトゥルノン通りの8番地に1900年から1937年まで住んでいた」との記述が本にはあります。確かに、この公園の一方が面しているセーヌ通りは南下するとそのままトゥルノン通りと名前が替わっていくわけで、距離も600メートルくらいですから、ご近所の部類と言えないことはありません。

それに、確かに、近くにあるのは美術学校で、音楽院はセーヌの向こう側でありますが、この公園の向かいにあるフランス学士院に入っている芸術アカデミーは、音楽も分野に入っていますし、ピエルネ自身も1924年からそのメンバーとなっています。
ということで、ちょうどできた公園に前年に亡くなった近在の芸術アカデミー会員の名前をいただいた、ということでしょう。

きっと、生前のピエルネもこの辺りをよく歩いていたのでしょうしね。

何処から辿り着いたのか、初めて来ました。

通りの由来を書いた本があるなんて、勿論広場や公園も載つてゐるのでせうね?

数へるほどしかパリに行つたことがありませんが、例へばビゼ通りにはかつてビゼが住んでゐたのですか?
バッハ通りなどもあるやうですから意外に適当につけたのもありさうですね。

何回か脇を通つて気になるのが、美術学校の隣の、ガブリエル・ピエルネ公園です。ヘルメの噴水など他では見たことがないし、美術学校に何故音楽家?と何時も思ふのですが。

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