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2006.07.13

ジダン(インタビュー)

ココログのメンテ明けを待ちつつ書いております。

ジダンの続きです。

ジダンのテレビ・インタビュー、午後8時からの予定が7時半に繰り上がってしまったので、録画することが出来ず、職場での一発勝負の聞き取りですので、十分聞き取れていないところや聞き間違っているところもたくさんあると思います。が、それはどうかご寛恕を。どこかに全文ないかなぁ。せめて全編再放送してくれれば録画して見返せるのだけれど。。。

さて、放送は1対1の生(の筈)のインタビューで、全体で20分くらいだったのではないかと思います。「ジダン・インタビュー」というタイトルでした。以下、もちろん話されたこと全部というわけではなく、記憶・印象に残っていることを書いてみます。

まず、話は、スイス戦での交替の時にドメニク監督と視線を合わせなかった件から始まりました。ジダンは、視線を合わせなかったからといって、監督との関係に関して特別の意味があるわけではなく、自分とチームのプレイにがっかりしていただけというようなことを答えていました。出場停止のトーゴ戦の時はどこで見ていたのか、とか(ロッカールームとのこと)1次リーグの辺りは比較的さらっと流して、話題は決勝リーグに移ります。

スペイン戦の前に色々中傷を受けたのではないか(もう引退、とかその手のことでしょうか、"critiquer"という言葉が使われていましたが)という質問に対しては、ジダンは、それはいつものこと、よくあることと受け、決勝までいけると思ったのはいつか、という問には、スペイン戦後である、と答えていました。毎試合負けたらいつでも「どうもありがとう」とか言ってチームを去ることが出来るような準備をロッカールームにしていたという話は本当か、との質問もあったりしました。

ブラジル戦については、ちょうど映像でジダンの素晴らしい球捌きが映っていたせいか、話の内容はあまり覚えておりませぬ。すみません。

ポルトガル戦については、PKの話になり、いつも自分はキーパー(リカルドの場合には、ということかも)の右に打つ、ということを披露していました。

決勝については入場前のシーンで「決勝だし気持ちが集中していたか」というような質問に、いつも気持ちは集中している、と答えていたと思います。そして、PKを柔らかく打った話となり(初めてだ、と言っていたのですが、ああいう柔らかいPKを打ったのが初めてということでしょうか?そんなことはないのでは、と思いますが)。延長の入らなかった
ヘディングシュートのシーンについても話がありましたが、この映像を見るジダンの表情が放送全体を通じて一番残念そうでした。そういえば、今回の決勝戦の映像を見るのはこれが初めてで、今まで見ていないと言っていました。

そして、頭突き事件へと。

何が起きたのか、ということについて、シャツをつかまれていたので、試合後に交換しようと自分は言った、そして、彼はとても厳しい(tres dur)なことを言ったんだ、と。その言葉がどういうものであったかということについては、tres dur という言葉とprofondeur(奥深いところ、ジダンの心の奥底という意味でしょう)という言葉を繰り返し、具体的に何を言われたかには彼は触れずにいました。「それはお母さんとか奥さんとかお姉さんとか、家族に関することですか」と訊かれても、ジダンは最初、それには答えず、同じような説明をしていたのですが、更にそこを繰り返し訊かれ、ウイウイウイと答えていました。

また、マテラッツィは侮辱することを繰り返し言ったのだが、自分は2度までは聞き流したけれども、3回目には我慢が出来なかった。彼の言ったことは許すことの出来ないことだった(正確にジダンがそう言ったか自信がないですがそんな感じ)。

そして、自分のしたことは許されないことで、特に子供たち、テレビの前で見ていた人たちには謝りたい(とこのことは繰り返し言っていました)と。しかし、自分は何よりもまず人間として彼の言ったことに対した、彼の言ったことは認めることの出来ないことであると。そして後悔しているか、という問に対しては、後悔してはいないと答え、それならば同じ状況になったら同じことをするのかと訊かれた時には肯定の返事をしていました。

そして、審判に何を言っていたのか、という問には、自分は挑発を受けてそれでやったことだということを言っていた、とのことでした。ビデオで自分がしたことを見てそれで判断を下すのならその前に挑発があったことも含めて判定すべき(とまでは言っていなかったと思いますがそういう趣旨と理解しました)と。


そして、また、とにかく子供たち、テレビの前での何十億人(?)もの人たちには謝罪したい。自分のしたことは許されることではない、と言った上で、しかし、自分のキャリアの最後、W杯の決勝、そしてあと10分というところ、そんなところであんなことをもちろんしたくてしたわけではない(これも言いたいことはそういうことだろうという意訳です)が、彼の言ったことは受け入れられないことだった(ので、自分の判断は間違っていない)。

そして最後にたしか、フランスチームを応援してくれたすべての皆さんにお礼を言いたいと言ってインタビューは終わりました。


もともとワタクシは、ジダンにこのインタビューで「何を言われたのか」よりも「なぜしてしまったのか、また自分のしたことについてどう考えているのか」ということを語って欲しかったので、そちらに比重を置いた受け止め方をしてしまっているかもしれませんが、しかし、客観的に見ても、ジダンが伝えたかったことも、そういう点についてだったと思います。マテラッツィの言葉については具体的に言うことを避けようとし(そして実際自分からは言わなかった)、しつこく訊かれたので「ウイウイウイ」と言ったという様子でした。

もちろん、マテラッツィに言われたことの内容が、ジダンの行為をどう評価するかに当たっての重要な判断材料になるとは思いますから、そこに関心を持つのは当たり前のことだと思いますが、関心がそこに集中してしまっているだけに、それだけが報道されたり人々に受け止められたりしてしまって、他のことが切り捨てられたりしたら何とも残念なことだと思っていました。ですから、ワタクシは、ジダンの発言のバランスはとても良かったと思います。

彼のメッセージ、伝えたかったことは、「挑発を受けたとはいえ、自分のような立場のものがああいう場面でああいう行為をしたことは、見ている人たちのことを考えると良くないことだった。特に子供たちには謝罪したい。しかし、とても激しい侮辱を受けた自分は、人間としてそれを許すことは出来なかったし、行為も誤ったものとは思わない。今もその気持ちに変わりはなく後悔はしていない。」ということだと思います。

すばらしい。

特に、"un homme avant tout(何よりもまず一人の人間(として))"という言葉を聞いたのはとても嬉しかったです。

テレビを見終わったときに、サッカー選手としてはプロフェッショナルに徹さなかった点で失格ではないかと言う同僚もいました。意見も聞きました。そのとおりだと思います。ただし、サッカー選手としてどう振る舞うか以前に人間としてどう振る舞うかの方が、やはり大切なことだとワタクシは思います。この2つの態度は(何もサッカー選手でなくたって)しばしば矛盾します。

そのときにどうするか。

この問に「人間として振る舞う人で居たいものですね」と言った同僚がいました。そのとおり。我々(というかワタクシ)もW杯の決勝でプレイするわけではないけれど、プロとして行動するために人間として大切なものを置き去りにしてしまう(ような気がする)ことは結構あります。まあ、普段はそれがはっきり分かるような状態にはならないのですが(毎日そんなことを意識する羽目になったら心と体が保ちません)。
ですから、それを実践し、人間として行動したジダンにワタクシは賞賛の声を送りたくなるのです。彼は別にお手本を示したかったわけではなくて、まず人間として行動しただけでしょうが。

何にせよ暴力はいけないという考えもあるでしょう。私も基本的にはそう思います。が、言葉だって立派な暴力だと思います。物理的に手を出すことだけが(まあ、見た目で分かり易いからでしょうが)暴力だというのは違うと思います。サッカーのルールにある非スポーツ的行為(昔の非紳士的行為)に分当たるのではないでしょうか。

ところで、日本のメディアでの扱い方についてはワタクシはインターネットでニュースを見るしかないわけですが、「母と姉を傷つけられ、、、ジダン釈明」という見出しを結構見ます。が、これはちょっと違うのではないかなぁ。これだとまるで自分からぺらぺらと「こういうことを言われたので、、、」と説明しているかのようですし、「釈明」というのは、ワタクシだけかもしれませんが、語感としてちょっと下手に出ているような印象を持ちます。ジダンは毅然としていた(もちろん高慢ではなく)と思います。

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Comments

(連続のコメントになってすみません・・・)
フランスでの報道姿勢が気になってたんですが、夫にこれに関して何か見なかったか聞いてみたところ、昨日わたしが昼寝をしていた間に夫が見た番組で(確かTV5mondeだそうです)5人くらいの人がこの件についてトークしている番組があり、そのうちの1人、アフリカ系の女性が唯一、差別に関する問題にスポットを当てた発言をしていたのだそうです。5人のうち1人だけでも、そういう意見を電波に乗せてくれたこと、すばらしいと思いました。
世の中はすでに、目に見える「争い」のほうに視線が集中してますね。ほんの一瞬だったけれど、大事なことについて考える機会を与えてくれ、勇気を与えてくれたジダンに感謝してます。(これだけ、亭主さんにお伝えしたくて・・・。)

Posted by: yaco | 2006.07.17 at 03:22 PM

yaco さん

そうですね、まさにテクストは作者だけの所有物ではない、という状況のような感じがします(肯定的にいっているつもりです)。

一番意味があったのは、これが刺激(色々な意味で)となったことではないかと。

Posted by: ガーター亭亭主 | 2006.07.17 at 03:20 PM

「un homme avant tout」は、わたしも、インタヴューを見てた時にビビッときました。そうですね、言われてみれば、「男」というようにも聞こえる。(そうなると、とたんにマッチョ路線になりますねぇ。)
しかし、やっぱり「まず1人の人間として、」という感じなのかなぁ?と・・・感覚的に、なんですが。でもこれは、聞く人それぞれに受け止め方が違ってくるものかもしれませんね。どういう意味で言ったのかは、ジダンのみぞ知る、ですね。

Posted by: yaco | 2006.07.15 at 06:48 PM

nofrillsさま

どうもありがとうございました。これで研究?が飛躍的に進みそうです。TF1でのシャゼルによるインタビューもここ(http://videos.tf1.fr/video/?trk=1&e=8)で見られます。便利な世の中になったものです。

Posted by: 亭主 | 2006.07.14 at 06:17 AM

>pfaelzeweinさま
これは両方の語義に解しうるところですね。ワタクシは「サッカー選手よりもまず一人の人間」という発想が既に頭にあるため、「人間」だろうと思ったし、今でも思っているのですが、そこのところは実際は分かりませんねぇ。。。

Posted by: 亭主 | 2006.07.14 at 06:12 AM

いつまで見ることができるのかわからないのですが、取り急ぎ、Canal +のインタビュー:
http://www.canalplus.fr/pid981.htm
(猫屋さんのブログで知りました。)

Posted by: nofrills | 2006.07.13 at 04:37 PM

「un homme」ですが、やはり訳されている通り「人間」と言う感じが強いのか、ちょっと「男」と言う彩りが強いのか関心あります。勿論男性の発言ですから中性ではないのは当然。例えば発言者が女性だったらば、明白ですね。

なんでもない事なのですが、どうしてもマッチョとか言う概念を思い出しますので。実際、イタリア人が女々しかったには相違ないですけど。

Posted by: pfaelzerwein | 2006.07.13 at 04:12 PM

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Tracked on 2006.07.13 at 06:53 PM

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