痛い目に遭わないと分からない
12月半ばにちょっとしたことで右の肋骨にひびが入り(推定)、2~3週間かかると医者に言われました。高い所の物は取れないし、くしゃみとか咳とかすると飛び上がるほど痛いし、結構大変だったのですが、それがようやく癒えつつあった12月末、転倒して今度は左の脇腹をしたたかに打ちました。当初痛みは脇腹の下の方(ベルト辺り)から背面にかけてだったので打撲だろうと思っていましたが、気がつくと左の肋骨部分も痛いのです、右と同様。そして、今、左の肋骨の痛みのみが残っているので、こちらも骨をやってしまったのではないかと。
で、そんな痛みを抱えた正月、つらつら「痛み」について考えました。
高く身を伸ばしたり逆に屈めたり、そうすると痛みが走るというのは、そうすることが体に(この場合骨の治癒に)悪いからです。ですから、そういうことをしてはいかんよ、という注意信号として痛みが走るわけです。これは、痛みに限らず熱さとか苦さとかそういう不快な感覚についても同様と思います。もしも人間が熱さを感じなかったら、体の至る所にやけどが出来て死んでしまうでしょう。辛さというのも度を超すとそうかもしれません。
ここでワタクシが得た結論(?)。
ヒトとして生きていく際の様々な危険を知らせるのが不快な感覚であるのだから、一番良いのは快感を追求して生きることである。
もう一つ。この「痛さ」の役割について思いをいたす時、「痛い目に遭わないと分からない」という言葉はなかなか本質をついているものではないか。
おまけ。
似たようなジャンルのことわざの「喉元過ぎれば熱さを忘れる」、ってもちろん忘れてしまったら次にまた熱い目に遭うので困りものですが、逆に、その熱さを忘れることが出来なかったら辛くて生きていけないですよね。
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