Asturiana~カシュカシアンの新譜
カシュカシアンの新譜です。HMVで昨年11月4日に輸入盤を注文したのですが延々と入荷せず、程なく先に国内盤が出てしまったものの、むきになって延期された発売を待っていたところ、つい先週まで待たされました。ま、2800円と1800円強ですから、仕方ありません。
なんて、入手の経緯(?)はともかく、スペインとアルゼンチンの作曲家の歌をヴィオラで演奏したこのディスク、想像通り素晴らしいものでした。
カシュカシアンを最初に聞いたのは、たぶんブラームスのヴィオラ・ソナタなのですが、歌い出しから、本当にしみじみとした歌にあふれ、それでいて何かを無理に押しつけるところのない、そっと寄り添って心のひだに染み込んでくるような素晴らしい演奏でした。もう、10年以上前のことになります。
カシュカシアンのヴィオラは、いかにもヴィオラヴィオラしています。バシュメットなんかは、ヴィオラの限界を拡大する方向に進んでいるような気がします。それは勿論すごいんだけれど、だったらヴァイオリンで良いんじゃない?と言いたくなってしまうのです。
そしてそんな彼女の渋めの音と歌は、スペイン系の音楽にはぴったりです。同じラテンではあっても陽光燦々のイタリアとはまったく違うのは言うまでもありません。ヴィオラによるカンツォーネ名曲集、なんてあり得ないですよねぇ。ゆっくりと、時にはぼそぼそとつぶやくように、歌う曲はもちろん、アップテンポの曲でも独特の憂愁を感じ取ることが出来ます。
最後に、解説書に掲載されているカシュカシアンの短い文章を一部引用します。全体は歌への彼女の想いを控えめな言葉ながら強く語った良い文章ですが、引用するのは、父親の歌の思い出についての部分です。
私の体に染みついている、最も古く豊かな記憶の一つは、父の歌う声である。父は、心のおもむくまま、我を忘れるかのように歌った。歌に込められた手放しの全てを包み込むような愛情は、聴き手--我が子であろうと、庭の石であろうと、生徒であろうと--に真っ直ぐ向かうのだった。私は9つの時に初めてバイオリンで音を出そうとしたのだが、それから今に至るまでの音を出そうとする試みはすべて、父に連なり加わりたいという思いに否応なく衝き動かされてのものなのだ。我がアルメニアの民謡を歌う父のバリトンの響き、味わいと汚れのなさは、今でも私にとって音楽の本質と役割の象徴であり続けている。
ワタクシとして注目するのは、聴き手としてに「庭の石」があげられているところです。人間中心主義でない、自然と対峙しない生き方(元々日本の伝統であったはずですが)の大切さを、最近とみに感じているものですから。
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Comments
わたしが最近気に入ってる
「SpitFunk (スピットファンク)」という
ホーンセクションがかっこいい7人組のバンドがいるんですが
こちらもすごくかっこいいので、
ぜひ聞いてみてください!
http://music.beautymode.net/r_rb.html
無料でCDプレゼントしてます☆
Posted by: ☆musico☆ | 2008.02.27 at 11:57 PM
彼女のヴィオラを初めて聴いたのはヒンデミットの作品集でした。ゴダールが好んで使用するやつです。この新譜は知らなかったので、早速聴いてみようかと思いました。4月1日から1年パリなのですが、東京で一度もお会いしないというは寂しいですが、なかなか偶然に会場で会うことがないですね。
Posted by: retina | 2008.02.28 at 01:16 AM
retinaさん
ご無沙汰しています。ヒンデミットもよいですよね。
ところで、サバティカル・リーブですか。そいつはうらやましいです。発たれる前に是非一献。委細メールで。
Posted by: 亭主 | 2008.02.28 at 09:27 AM