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2009.01.24

金魚生活

Kingyo3なかなか強い色合いの派手目の金魚の装丁につい惹かれて手に取ったのですが、これはなかなか良いものでした。

ストーリーは、日本に留学、結婚、就職している娘の出産の手伝いとしてやって来た50がらみの中国人寡婦が、今のぱっとしない暮らしを捨てて孫の近くに残るために日本で結婚することを勧められ、実は故郷に同棲相手がいることを言い出せずに結婚相談所で見合いを何度かして、、、というものなのですが、そこに、大きなテーマとして言葉の不完全さというものが描かれています。そして、言い表すことのできない、人の存在とか心とか世界というものの豊饒さが逆説的に示されます。

主人公が職場で世話を任されている金魚たちとの対話・交流、来日して言葉が通じない相手やまだ言葉を発することのできない嬰児とのコミュニケーション、ペットショップでの動物と孫との間のふれ合いなど、どれも言葉を介さないつながりであって、逆に言うと言葉がどれだけのものを伝えるものことができるのかという問題提起がなされているように思います。
中国に残してきた同棲相手は、一途に想っているわけではないのですが、それを引きずりながらも、主人公は日本での生活に慣れてきて、孫との生活も去りがたくと、心が揺れます。揺れる、というよりは、主人公の中では色々な思いが渦巻いて、それを自分でも言葉にすることができずにいながら見合いを繰り返します。

その中で、日本語の理解度(?)が進む様が描かれ、最初は発音としてもとらえることができず「○★※□×▲」などと表されているのが、そのうちに意味は分からないながらも言葉として表記されるようになっていくというきめ細かい表現も見られます。
金魚の世話をする主人公が金魚色の服を着て、日本社会の中で「金魚側」に立つことを示すのは、若干説明的に過ぎるかとは思いますが、色々なアナロジーはこの物語を別の意味で豊饒にしています。混沌は豊饒につながるということなのでしょうか。

また、読者がこの物語に引き込まれるのは、物語の最初の方、回想される複数の時間と現在を自由に行き来するような書き方に、物語の中に、というよりは主人公の心、幾重にも折り重なった記憶に自然に同化させられるという巧みなテクニックに負うところも大だと思います。

最後のエピソードである見合いの場で、相手が愛好しているという漢詩を引用(?)してのやりとりは、ここまで感情移入をしてきた読者にとっては、本当に心が揺り動かされるものです。母国語ということを考えさせられます。結末には、言語によるコミュニケーションということについての作者のメッセージが織り込まれていますが、それも多義的に捉えることができるように思います。

「金魚生活」、お勧めです。他の作品も読みたくなりました。

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