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2010.03.31

新星堂吉祥寺北口店

本日をもって吉祥寺の駅ビル「ロンロン」が閉店しました。もっとも明後日には「アトレ」として新装開店するし、テナントの多くはそのまま残るので、まあ馴染んだ名前が消えることに一抹の寂しさが、という話なのかもしれません。

が、しかし。

東端の一画を占めていたディスクイン吉祥寺店は閉店となります。新星堂の「専門店」バージョンとの位置付けですから、別に新星堂吉祥寺アトレ店(というのだろうか)がある以上、統合は今日日仕方ないのかもしれません。でも、そこそこの売り場面積があったクラシックコーナーはなくなってしまいます。そして、ワタクシにとっては、これは面積の減少だけの問題ではありません。

このコーナーは新星堂吉祥寺北口店2階のクラシックフロアの流れを汲むものだからです。

35年も前になりますが、本当に中学高校の頃、この店には入り浸っていました。欲しいレコードを大量に取り置いてもらったり、店頭で流す盤のリクエストをしたり、サンプル盤を貸してもらったり。
本当にこの店にワタクシは育ててもらったようなものです。夕飯時には帰るはずの日にいつまでも帰って来ないと店に電話がかかってくるなんてこともありました。当時は携帯なんかもないわけだし。

店長としてクラシックフロアを仕切ってらっしゃったO氏には本当にお世話になりました。意識してではないと思うのですが、若いファンを育てるということをされていたのですね。後年、やはり色々お世話になったと述懐(?)するクラヲタにも出くわしたりしました。彼はその後新星堂を辞めてクヮルテットハウスジャパンを始められました。

吉祥寺北口店は、今のサーティワンの隣の楽器屋のところにありました。私の知る最初の形は2階がクラシック、1階がそれ以外。その後北口店というのはなくなって、楽器店(これも新星堂の1形態)の3階にディスクインNO3として、クラシックの専門店となりました。思えばこの頃には吉祥寺には山野楽器もありました。
その後ロンロンの拡張に伴って、より大きなディスクインに吸収される形で移転して。
近年は全般にディスクの売り上げは減っていたろうし、タワーなんかも吉祥寺に進出してきたし。そこへこの不況で、ということなのでしょう。


おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。新星堂吉祥寺北口店。

(追記)石丸レコード館も有楽町のHMVもなくなったということを、やくぺん先生のところで知りました。(2010.7.8)

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Comments

かとうさま お返事いただきありがとうございました。了解致しました。お体お大事にしてくださいませね。

お声をかけていただき、ありがたいのですが、現在はとても旅行できる環境になく、体調もすぐれないため、辞退するしかありません。
申し訳ございません。

かとうさま

ところで、上の方のコメントにあるO店長を囲む会、やるやる詐欺なのですが、そのうちぜひ実現させたいと思います。その折りにはよろしかったら声をおかけしましょうか?
もしよろしければ、メールでアドレスなど教えていただければと思いますが。
私には左の列の「メール送信」というところをクリックいただければ送っていただくことが出来ます。
本当にもしよろしければ、ですが。

お返事が遅れてすみません。しばらく覗いてなかったのです。
庄司さんと真田君はよく覚えていますよ。
しかし、関さん?? 記憶にない。その人は駅ビルの店にいたヒトかもしれませんね。
真田君はポピュラー音楽が好きで、2階の売り場には、めったに立たなかったと思います。口は上手で、知らなくても売る技術を持ってましたね(笑)。

かとうさま!!
昔つけていたノートが出てきましたが、私が初めてレコードを買ったのは、73年の11月22日、それから2年程(かとうさんがいらした間)、大体80枚くらい買っていますね。クラシックばかり。そのうち20枚くらいが74年中ですから、75年になって加速という感じ。
で、なぜか売ってくださった店員さんの名前も記録してあり、75年1月2日には「加藤」という名前が。グールド/ストコフスキーの「皇帝」と小澤の「ファウストの劫罰」です(←覚えているわけ無いけれど)。ほとんどが店長なんですが、他には、「関」「庄司」「真田」なんて名前が見られます。

かとうさま
私が新星堂で初めてレコードを買ったのは昭和49年の10月か11月だったと思います。中学生でした。あの頃は買ったレコードをノートにつけていたりしました。翌年には結構なペースで買うようになっていたと思いますから、お店でお会いしていることは間違いないですが、一番熱心に入り浸っていたのはもう少し後なのかなぁ。そのノーとが出てくればはっきりするのですけれどもね。
いずれにしても、お世話になったことは間違い有りません。おかげさまで立派なクラシックオタクとなりました(笑)。

昨日から調べていたのですが、ようやく判明致しました。
私があの店で働いていたのは昭和48年10月から2年ほどですね。その後、別の店へ移動になりましたから。

あのころ毎日のように通われていたお客様といえば・・・・数名いらっしゃいました。
高校生にもいて、彼はブラームスの2番 Sy が好きでしたね。
堅実なサラリーマンの方で、ほぼ毎日1枚買われた人、マイルス・デイビスも好きという人、レコードだけが生きがいの独身者、大学受験に3年続けて失敗し、4年目にようやく合格したアイツ(笑)、etc
なつかしい思い出です。

かとうさま
コメントありがとうございます。いつ頃お勤めだったのでしょうか?でも、O店長時代(って2回有りましたけれど)であれば、ワタクシとも面識があるかもしれませんですよ。
いずれにしても、あの店がなくなってしまったのは時代の流れとはいえ、哀しいことです。

驚きました。まさか、私の勤めていた店のことが書かれているとは・・・・

O店長にはいつも迷惑かけてました。いま思うと最低の店員(泣)。

なまじクラシックの知識があるといけませんね。お客の話を聞く前に「それは***」とか言ってしまう。
例: 「あのう・・・・ヴィオッティの何番が・・・・」
   「レコードでは無いです!」
    きっぱり。
だいたいこんな調子でした。申し訳ない。 

Oさん囲む会、いいですねえ(^^)会いたがる悪友が何人も居そうだな。
最盛期、殆どかぶってますね。ってか1976年から1980年くらいです。いっしょじゃん(爆)

ここがDisk Inn No.3。あと確か高円寺のNo.2にはJazzがあって、そちらへもちょくちょくでした。

>まつおかのぶやすさま
コメントありがとうございます。
そうですね、量販店とかあるいはネット販売とか、もちろん私もさんざんそういうものばかり昨今は利用しているわけですし、メリットはイヤという程(笑)享受していますが、単なる郷愁でなくてああいう店の果たしていた役割は、今どこで誰がしているのかなぁ、とふと思ったりします。

>ナゾの編集人さま
コメントありがとうございます。同時期に入り浸っていたのかもしれませんねぇ。私は1975~1980年くらいが最盛期(笑)でしたが。いずれにしても懐かしんじゃいますねぇ。Oさん囲む会でもやりましょうか。

ああ、それで、今日の新聞に「アトレ」の折り込み広告が入っていたのか。。。

西荻窪在住の私の場合、都心方面の定期券を所持していたこともあって、新星堂吉祥寺北口店は、中学生の頃にお世話になった店という位置づけなのですが、そうですか、なくなってしまうのですか。残念です。

若いファンを大切にしていたというのは、今思い返しても、いろいろと思い当たります。

述懐しました(笑)

そうですか、なくなるんですか・・・

二階奥のコーナーに入り浸って、レコード!を買いもしないで試聴ばかりしていたワタクシです(いや、たまにはなけなしの小遣いで買ったりもしましたが)。

いつもにこにこ笑っていたO谷店長にはほんとうにお世話になりました。

亭主様、おしらせ多謝です。

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昨年の3月、今は無き新星堂吉祥寺北口店を懐かしむエントリを上げたのですが、先月、 [Read More]

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