地震の日
ワタクシの職場、ビルの十数階という位置でした。やばい、とは思ったものの、建物が崩れたりはしないだろうと思ったし、自分の身の丈より高いところからものが落ちて来るという環境ではなかったので、直接的な身の危険は感じませんでした。スチールのスライド書類収納が1メートルくらい(見た感じ)左右に激しく行ったり来たりして、そして低い書類ロッカーの上に積んであるドッチファイルなどが落下しかかるのを同僚が押さえていた光景が印象に残っています。
ひとまず揺れが収まったところで、建物から出るようにとの館内放送に従ったのですが、階段は大混雑で、ここでまた来たら、と思うととても不安な気持ちになりました。
建物の点検をする間、日比谷公園で寒空の下同僚たちとともに2時間程待っていたのですが、同じ境遇の人で一杯でありました。避難の時迷ったのですが、コートを着て出て良かったです。知っている人と一緒だということも。
避難中もラジオを聞いていましたが、戻ってテレビをつけて規模と被害の大きさに、いや、それは揺れている最中から感じていたことではあるんですが、改めて。でも、この時点では、亡くなった方は1000人を超えてしまうのだろうか、などと会話していたんですよね。今思えば、全然甘かった。
電車は全部止まっていて復旧の見込みは立たない、という情報が流れる中、東京メトロだけは、「現在係員が徒歩で路線の点検をしている」というセリフがくっついていました。となると少なくとも都内の路線は同じような状況なのだろうから、今晩遅くには復旧するのでは、と思い、徒歩(3時間半らしい)での帰宅は見合わせて、待機しておりました。自分の経路(銀座線、井の頭線)は比較的短いから点検も早く終わるのでは、とも考えました。そのとおり電車で帰れたわけですが、井の頭線を待つ人の列は東横線に通じる階段の下のところまで続いていて、駅員さんが、声を枯らして整理に当たっているのが胸を打ちました。
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