日常と非日常、今後のために(2)
先週の木曜日は気温が低かったので、予想以上に電力の需要が増え、このままでは東京電力管内で大規模停電のおそれがあるという発表が、午後に行われました。火、水と比較的暖かかったため、電力の消費量も順調?で、首都圏などの電車の運行状況なども大分旧に復してきていた矢先の出来事でした。
発表とともに、鉄道各社には列車の本数を減らすなどの要請が行われ、会社では早期の帰宅が緩衝(命令?)されて、夕方から帰宅を急ぐ人の数がどんどん増えるという事態になりました。こうした大口の消費が抑制されたことと併せて家庭での節電にも拍車がかかり、懸念された大規模停電は起きませんでした。
その時、暖房をつけなかったり照明も最低限に抑えていた家庭も少なくないと思います。その時に限らず、節電マインドはかなり行き渡ってきているようで、各自今自分が出来ることは何かということを考えてやっているということだと思います。
こうした動きを「自分の身に跳ね返ってくるときだけそんなことをして」と揶揄する向きもあるかもしれませんが、むしろポジティブに「何か自分ののしたことで社会の役に立つ成果が出る」ということを我々は学んでいるんだ、と捉えるべきではないかと思います。「自分一人が何かをしたって何も変わらない」という無力感(だから何もしようとしない)にとらわれがちな日常。ここ数日の生活は明らかにこれとは違います。これを機に変わっていかなければ、、と思います。
阪神淡路の震災の時に、それまで日本の文化には馴染まないとか思われていたボランティアの活動というのが、大きく広がっていきましたが、今回も、自分が社会に主体的にかかわる存在であるということを私たちは痛みとともに学ぶことになるのではないでしょうか。
そして、それは、(唐突なようですが)「新しい公共」がこの日本に根付くことにつながるのではないでしょうか?というか、ワタクシは「新しい公共」というのはそういうものだと思っています。
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