日記・コラム・つぶやき

2014.01.04

大瀧詠一の死に思う

大晦日に流れた大瀧詠一の訃報は、ショックでした。65歳、早過ぎます。

ワタクシ、ここ何年もカラオケでは多分9割は彼の曲を歌ってきました。恋するカレン、A面で恋をして、冬のリヴィエラ。。。

出会いは松田聖子の『風立ちぬ』(81年10月発売)でした。衝撃的でした。ゴージャスなアレンジ。中学の頃からクラシックを中心に聞いていて、もちろん、当時(ちなみにワタクシは1960年生まれです)のアイドル歌謡などには人並みに熱心でしたが、ロックとかポップスとかあまり聴かずに過ごしてきていたのでした。だから『ロング・バケーション』(81年3月発売)も知らなかった。
それにしても、『風立ちぬ』を聴いたら『ロンバケ』に手を伸ばしても良さそうなものなのに、何故そうしなかったのでしょうね、、先に手に入れたのは『イーチ・タイム』。これは発売の翌日、84年3月22日に買っています。

でも、当時の記録(笑)を見ていると、『チェリー・ブラッサム』と『夏の扉』は発売(それぞれ81年の1月、4月)されてから日をおかずに買っているのに、『白いパラソル』と『風立ちぬ』は買っていません。何故だろう。その後の『赤いスイトピー』(82年1月発売)以降はシングル盤もアルバムも松田聖子の「引退」までずっと買い続けているのに。
だから、『風立ちぬ』をちゃんと聴いたのも案外時間が経ってからなのかもしれません。

さて。

84年の10月には『ナイアガラ・トライアングルvol2』を買ってるんですが、その後、『B-EACH TIME LONG』は85年8月に入手するものの、相変わらず『ロンバケ』は持っていませんでした。その代わり、佐野元春をよく聴いてましたね、この頃は。そんな気がします。

そうなると、さっき「衝撃的でした」なんて書いたけれど、実は、大瀧詠一を本当に好きになったのは、もっと後のことかもしれません。記憶を作っているのかな。。。若者(といっても既に20代半ば)は佐野元春の方が気に入ったのかもしれません。でも、佐野元春を知ったのは「ナイアガラ・トライアングルvol2」で、それは大瀧詠一からいったわけでして。
並行して、中島みゆきも一時期ははまっていましたが(今でも好きです)。

『冬のリヴィエラ』は一番早くにカラオケのレパートリーとなりました。というか、若い頃は圧倒的にオジサンたちとカラオケに行くことになるわけで、そうすると、松田聖子とかキャンディーズとか、やっぱり歌うわけにはいかなくって(『津軽海峡冬景色』も評判は芳しくなかった。←ワタクシの歌が、ということではなく、選曲的に)、まあ、『冬のリヴィエラ』はそうはいっても森進一だから許された、みたいな。歌った回数は100や200じゃきかないだろうなぁ(←適当に言ってます)。近年は、そんな気を遣う必要もなくって、逆に、一緒に行く若い人には未知の曲であろう『恋するカレン』とか歌っちゃってます。でも、たまに、なんでキミ、その年でこの曲よく知っているの?なんてこともありますが、まあ、カバーされているという以上に、ある程度エバーグリーンになっているんだろうな、と嬉しく思ったりします。

***
大晦日のお昼のニュース、自宅の階下のテレビから「・・・大瀧詠一さんが、東京都瑞穂町の自宅で・・・」とか聞こえてきたときには、思わずダッシュして「嘘だろ」と叫んでました。よく「心にぽっかり穴が空いたような」って比喩を使いますが、まさにそれでした。心の震えが止まらない感じ。そして、松田聖子や大瀧詠一の話とかよくした友人と、FBでメッセージを何往復かしました。

実は、このエントリーを書き始めたときも、そういう喪失感のことを書こうと思っていたんです。最近は新曲も本当に出てこなくなっちゃって、でもたまに出てくるラジオは本当に面白かったけれど、それらがもう無いのはとても寂しいこと、みたいな感じで。
でも、書いているうちにご覧の通りです。

それだけ、大瀧詠一はたしかに自分の何かの源になっているということを再確認することになったのは、看板に偽りなしでした。合掌。


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2011.03.20

日常と非日常、今後のために(2)

先週の木曜日は気温が低かったので、予想以上に電力の需要が増え、このままでは東京電力管内で大規模停電のおそれがあるという発表が、午後に行われました。火、水と比較的暖かかったため、電力の消費量も順調?で、首都圏などの電車の運行状況なども大分旧に復してきていた矢先の出来事でした。
発表とともに、鉄道各社には列車の本数を減らすなどの要請が行われ、会社では早期の帰宅が緩衝(命令?)されて、夕方から帰宅を急ぐ人の数がどんどん増えるという事態になりました。こうした大口の消費が抑制されたことと併せて家庭での節電にも拍車がかかり、懸念された大規模停電は起きませんでした。

その時、暖房をつけなかったり照明も最低限に抑えていた家庭も少なくないと思います。その時に限らず、節電マインドはかなり行き渡ってきているようで、各自今自分が出来ることは何かということを考えてやっているということだと思います。

こうした動きを「自分の身に跳ね返ってくるときだけそんなことをして」と揶揄する向きもあるかもしれませんが、むしろポジティブに「何か自分ののしたことで社会の役に立つ成果が出る」ということを我々は学んでいるんだ、と捉えるべきではないかと思います。「自分一人が何かをしたって何も変わらない」という無力感(だから何もしようとしない)にとらわれがちな日常。ここ数日の生活は明らかにこれとは違います。これを機に変わっていかなければ、、と思います。

阪神淡路の震災の時に、それまで日本の文化には馴染まないとか思われていたボランティアの活動というのが、大きく広がっていきましたが、今回も、自分が社会に主体的にかかわる存在であるということを私たちは痛みとともに学ぶことになるのではないでしょうか。

そして、それは、(唐突なようですが)「新しい公共」がこの日本に根付くことにつながるのではないでしょうか?というか、ワタクシは「新しい公共」というのはそういうものだと思っています。


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2011.03.17

日常と非日常(1)

地震が起きてから1,2日は音楽を聴く気が起きませんでした。
それは、被災者の方に申し訳ないから自粛するとかそういう意識的なものではなくて、どうにもそういうことをしている自分の姿が想像できなかったのです。こういう時こそ日常の生活を続けることが大切とは思いながらも。

それはともかく、今、東京では多くの音楽会が中止となっています。理由は様々でしょう。電力不足、交通の不如意。そして、その中には「東北、北関東で大変なことが起きているのに音楽など聴いている場合か」という意見への配慮もあることでしょう。また、これに対するに「こういう時だからこそ元気を出すために普段どおりに催しを行うべきだ。それが元気の素になる」という考えもあります。

ワタクシは、原発事故の影響が最終的にどの程度の範囲に広がるのかがまったく分からないし、電気の問題もあるので、少なくともこの数日は音楽会など開くのはどうかと思います。それらの問題について見通しが立ち、そして、被災者の方も含めて多くの方が生存の危機を脱したと言える状態になったとき、音楽の出番がやってくるのだと思います。現地にせよ、東京にせよ。もちろん、個々の人がそれぞれ音楽に癒される、というのとは別の話として。で、その時もきらびやかな照明の下ではないのですが、ワタクシのイメージは。


今日の段階では、プロ野球セ・リーグの開幕について関係者間の意見が分かれています。大きく言って、球団側は予定どおり、選手側は延期、というように見えます。こちらについても電力などの問題があって、ナイターなんかどうなのよ、と思いますが、それとは別に、色々な人が意見を表明する中で、「野球選手は野球をするのが仕事。それによって復興に貢献するのが筋」という言葉、また、「野球選手といっても選手である以前に人間、野球以外にもするべき事がある」という言葉が目にとまります。

人間は社会的な動物で一人では生きていけません。弱いものだから支え合って生きていく。一人一人は社会の構成員としてそれぞれの役割を持つことになります。そしてその役割の一部分が職業です。野球選手とか音楽家とか会社員とか魚屋とか。ところが、現代社会では分業がとても進み、職業に専念する必要が生じていて(その方がある意味で「効率」が良い、たぶん)、職業以外で本来皆が持っているはずの別の顔が見えなくなって、職業=社会での役割と思い込む傾向があります。
確かに、日常の生活の中では、活動している時間のかなり多くの部分が職業に盛れる場合が多いのですが(そのこと自体も問題ですが)、こういう非日常の時こそ、自分が社会で果たすべき役割というのは何かということを考えて行動する場面なのではないかと思います。もちろん、考えた結果が「仕事に専念」ということもあるでしょう。ボランティアとして現地の復旧の手伝いをする、というのもありでしょう。そこはその人の置かれた状況と、それから人それぞれの考え次第です。

そう思ってみると、「野球選手は野球をするのが仕事」と言い切るのは正論のようでいて、実は狭量な考えのように思われます。

日常の中でも、職業は社会での役割の一部分であるということを常に忘れずにいたいものです。こういう非日常こそがそれを思い起こさせる機会となるのでは、と思います。ま、こう言いつつも現実の生活では難しいんですけれどね。

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2011.03.16

計画停電

東京電力管内で14日から行われている計画停電、発表が遅くて準備が出来ないとか、停電すると思って準備したら停電しなかったとか、色々と不満の声が上がっています。確かに、翌日の朝から行う、という13日の夕刻の発表はかなり急で、電気が止まったら生命に関わるような人たちのことを本当に考えていたのか、と疑問に思う部分はあります。また、当初は被災地まで停電の区域に入っていた(後に対象外)とか、鉄道会社との協議が十分に行われず交通に混乱を招いたとか(主として初日の14日)、そういう不手際もありました。また、対象区域のグルーピングの一覧表にミスがあったり、変更(?)があったり、東電ウェブサイトにアクセスできないとか、情報が錯綜もしました。

ただ、なぜ計画停電を行うのかという考え方とどのように実施するのかということをもっと分かりやすく説明して伝えることが出来たなら、多くの批判は起きないと思うのです。
つまり、東京電力だって止めたくて止めるわけではない、けれども、計画的に輪番で停電させる方が、いきなり全体がダウンするよりはまし、という考え。そして、できれば停電は最低限に抑えたい(社会的影響が大きいから)、だから、電力の需給の予測を行って停電の対象、時間帯を予告するけれども、リアルタイムに近い形で需給をモニターして、そしてギリギリのところで最小限の停電だけを行う、なので、予告した範囲で停電の可能性はあるから準備はお願いしたい、けれども自分たちもなるべく停電は起こさないように努力をするし、皆さんも節電をして頂ければ、実際には停電を回避できる可能性が高まるのでよろしくお願いしたい、ということを(多分こういうことなのだと思いますが)、明確に分かりやすく繰り返し説明することが必要なのでは、と。

そして、停電を回避できた暁には、皆さんのご協力と努力によって停電を回避できました、と、何というか、当事者意識を皆が持つことが出来るような形でのアピールを行うことが大切なのではないか。せっかく「ヤシマ作戦」とか言って盛り上がってもいるわけなんだし。

できれば、需要と供給の当初予測と、需要が下がったので停電を行わなくて済んだという結果をデータとともに発信すればより効果的でしょう。そして、(これは推測ですが)最初は何しろ初めてのことだし、予測しがたい部分も多かったために、必要となる停電量をギリギリまで追い込んだ計画を立てることは難しく、それが日一日と改善できていっている、というようなことも合わせて発表できれば。

たしかに、13日夜の記者会見で、官房長官は「予告した範囲で停電の可能性があるということで、その対象地域のすべてで停電が起きないかもしれないし、対象時間帯の中で最大3時間だがそれも短くなるかもしれない」と言っていたと記憶していますが、私の見聞きした範囲では、事実関係にとどまらずなぜそうなのかというところまでの説明は行われなかったのではないでしょうか。

限られた時間、緊急の事態ですから、それぞれ必死の頑張りを続けている担当の方(広報も含め)を責めるつもりではないのですが、でも、このようなときだからこそ、もっとうまくできればなぁ、と思ってしまいます。こんな曲芸のようなことが出来る管理力、技術力は、世界でもそうそうは無いはずで、とても凄いことをしているだけに、です。

夏場の電力需要が今よりも2000万KWほど多くなる時期には、更に状況は厳しくなることが予想されるわけで、そこを乗り切るには本当に「主体的」に取り組むようにしないと、ならないと。

ところで、電力の供給が停止することを十分な時間的余裕を持って非常に精確に特定、公表してしまうと、その地域が組織的犯罪とかテロとかの対象になりかねないとも思うのですが、それも「計画どおりにいかない」理由だというのは考え過ぎでしょうか。。。

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2011.03.15

地震の日

ワタクシの職場、ビルの十数階という位置でした。やばい、とは思ったものの、建物が崩れたりはしないだろうと思ったし、自分の身の丈より高いところからものが落ちて来るという環境ではなかったので、直接的な身の危険は感じませんでした。スチールのスライド書類収納が1メートルくらい(見た感じ)左右に激しく行ったり来たりして、そして低い書類ロッカーの上に積んであるドッチファイルなどが落下しかかるのを同僚が押さえていた光景が印象に残っています。

ひとまず揺れが収まったところで、建物から出るようにとの館内放送に従ったのですが、階段は大混雑で、ここでまた来たら、と思うととても不安な気持ちになりました。
建物の点検をする間、日比谷公園で寒空の下同僚たちとともに2時間程待っていたのですが、同じ境遇の人で一杯でありました。避難の時迷ったのですが、コートを着て出て良かったです。知っている人と一緒だということも。
避難中もラジオを聞いていましたが、戻ってテレビをつけて規模と被害の大きさに、いや、それは揺れている最中から感じていたことではあるんですが、改めて。でも、この時点では、亡くなった方は1000人を超えてしまうのだろうか、などと会話していたんですよね。今思えば、全然甘かった。

電車は全部止まっていて復旧の見込みは立たない、という情報が流れる中、東京メトロだけは、「現在係員が徒歩で路線の点検をしている」というセリフがくっついていました。となると少なくとも都内の路線は同じような状況なのだろうから、今晩遅くには復旧するのでは、と思い、徒歩(3時間半らしい)での帰宅は見合わせて、待機しておりました。自分の経路(銀座線、井の頭線)は比較的短いから点検も早く終わるのでは、とも考えました。そのとおり電車で帰れたわけですが、井の頭線を待つ人の列は東横線に通じる階段の下のところまで続いていて、駅員さんが、声を枯らして整理に当たっているのが胸を打ちました。


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2011.01.03

Gさんのこと、またはO店長を囲む会

昨年の3月、今は無き新星堂吉祥寺北口店を懐かしむエントリを上げたのですが、先月、当時のO店長を、お世話になった有志で囲む会を催すことが出来ました。有志、といっても、往時はお互いに面識はなく、クラオタ仲間として後年知り合い、30数年後の今、実は同時期に入り浸っていたコトを知るに到る数人の面々でした。

全国のO店長ファン(?)の皆様、店長はお元気でいらっしゃいましたよ。今はCDの制作の仕事をされているとのことでした。

最近の身辺のことや体験談をお互い話したり、業界の今日を憂う(?)放談など、非常に楽しかったのですが、何と言っても、やはり当時の懐古的な話も相当の部分を占めるのは事の成り行き上当然でしょう。その中で、長年のナゾが解けた(?)のは、店の主のように(店員さんではありません)振る舞っていたGさんのこと。

Gさんは、感覚的にはいつでも店にいて(実際、ほとんど毎日来店していたのではないかと)、試聴卓の前の椅子にかけて店員さん相手に世間話やら音楽談義やらをされていました。そして、カウンターの中に入り込むことはおろか、入荷したレコードを店員さんより早くチェックし、「オレ、今日これ持ってくから」と宣言してしまう(もちろん購入されるのですが)ようなことも数多かったと記憶しています。いわゆる常連さんだったのですが、冷静に考えればお店の人ではないものの、何か関係者ぽかったです。カゲの店長みたいな。
で、今回、Gさんは、実はあの野村あらえびす氏に可愛がられて(?)育ったのだということを知り、大変驚きました。そりゃ、そうですよね。歴史上の人物ですもの、完全に。幼少の頃、どんな風だったかと言いますと、Gさんはご近所のあらえびす宅によく遊びに行き、他の大人は触らせてもらえなかったレコード盤(当然SPです)を、「あの子が来たら、(自分が留守でも)いくらでも自分でかけさせてかまわないから。音楽が好きなんだから決してぞんざいに扱ったりはしないから」と、氏の許可を得て、コレクションを聞きまくった(?)のだそうです。いやぁ、そんなお方とは存じませんでした。筋金入りですね~、これは。

なんてことを知れば知る程、失われてしまったあのお店への懐旧の念が強まると同時に、そこに育てていただいた我が身の幸せをかみしめ、日本酒のすすむ夜でしたとさ。

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2010.10.03

はやぶさ

Hayabusa
JAXAの調布センターで、はやぶさが公開されると聞き、行って参りました。

かなりの行列を覚悟していったのですが、11時頃に着くと特に待たずに館内へ。館内には相当の人が居ましたが。帰りに警備の方に聞くと、開館(10時)前にはかなりの列が出来ていて、テレビで取り上げられるから明日はかなり来るんじゃないか、とのことでした。

カプセル(外側)は、エンジニアリングモデルという実際に宇宙に行っていないものが展示されていましたが、その中身である何とかモジュールとか搭載電子機器とかパラシュートとかは、長旅をしてきたそのものです。直径30センチくらいで、よくまあ、こんな小さいものが遠くまで行って帰ってきたなぁ、と感慨深いものがありました。

で、一度小惑星イトカワの上で地球と音信不通になりながら、それが発する微弱電波を再び捉えることに成功して帰還となるという劇的な展開もありましたが、「はやぶさ君」と呼ばれて擬人化されるのは、やはり日本人の伝統的な感性だな、という気がします(揶揄とかしているのではありません、念のため)。ちょっと前だったら「はやぶさ神社」が出来たことだと思います。

西洋の妖怪って人起源(?)であるのに対して、日本にはモノ起源(?)のものがある、と聞いたことがあります。唐傘お化けとか一反木綿とか。そういう感性です。アニミズム、八百万の神とかに発するものだと思いますが。針供養とか包丁塚とか。

古代ローマみたいなところはどうなんでしょうね、多神教の。

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2010.06.21

オルニチン

Otonakirin2最近、大人のキリンレモンをよく飲んでいます。夏が近づいてくると、カロリーオフの炭酸飲料を冷蔵庫に買い込んでおいてビールの消費量を抑える作戦に出るのですが、今年はコレ。糖類ゼロの部分をレモンと人工甘味料で味付けしていますが、味もまあまあ。それよりも、ワタクシ、味ではなく「オルニチン配合」というのに惹かれたのですね。

オルニチンについては、その名も「オルニチン研究会」なるサイトがあって、詳しくはそちらなんですが、簡単に言うと、肝臓がアンモニアを分解する時に活躍する、シジミに沢山含まれているアミノ酸です。お酒を飲んだ後にシジミ汁を一杯っていいますよね。まあ、そんなものかと。

で、大人のキリンレモンには、1本当たり400mgのオルニチンが入っていまして、これはシジミ900個分だそうです。シジミ汁には10個?、20個?、そんなモノですよね。なんかすごい。

もう一つ。

Yasumuhi2キリンは(キリンビールの方)、ノンアルコールビールのラインナップに「キリン 休む日のAlc.0.00%」なるものを投入しています。これも、オルニチンが1本当たり同じく900個分入っているとのこと。ノンアルコールビールなんて飲むくらいだったら何も飲まなくても、というのがワタクシの持論でしたが、でも、なかなか何も飲まないというのは難しく。。
で、もちろん、この「休む日の」だって、美味しくはないですよ。ビールの代わりには所詮はなりません。が、オルニチン配合と聞くと、単にアルコールを休むことによって肝臓をいたわるだけでなく、肝臓を積極的に強化しているような気持ちになれるではありませんか!(たかが気持ちされど気持ち)
ということで、後ろ向きではなく「攻める休肝日」みたいな感じでやっております。

キリングループには、協和発酵が入ったんですよね。だから、オルニチンが商品にどんどん登場してきているのですね。グループ各社横断の「キリンの健康プロジェクト」なるものを始めたようで、小岩井乳業からは「大人のヨーグルト」なるモノも出ているようです。もちろんこれにもオルニチン配合。

オルニチンは、何も協和発酵だけではなくて、伝統的?なシジミのみそ汁の世界でも強化されております。
永谷園の「1杯でしじみ70個分の力」シリーズ。これも良いですよね、原点に返っている感じがして。

ということで、マイブーム、オルニチンでした。

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2009.12.23

来年は「ほぼ日手帳」

Agenda2010誰しも手帳遍歴とでも言うものがあるのではないかと思うのですが、ワタクシの場合、能率手帳のウィック7を使っていた時期が長かったですね。何と言っても薄くてかさばらなかったのがよかったです。
手帳は、仕事などのスケジュールを書きとめるものとして使っていたわけで、常に携帯してすぐに書き込めるという点ではこれがベストでした。一時、手帳を落としてしまったショックの反動からいきなりクリエ(今ウェブで見たら動画対応とかになっているんですねぇ。私の持っていたものに近いイメージはこちら)を買ったりしたこともありましたが、やはり使い勝手が悪くまた能率手帳に戻りました。

で、フランスから帰ってきた2007年春、進化した日本の携帯に接し、スケジュールを入れるだけならこれに入れておけば良いではないかと思い切り、手帳を持たない生活がこの2年半。

しかし、最近は物覚えも悪くなり、スケジュール以外にも、思いついたことや新聞で見かけた本とかCDとかその他、色々なことを書き留めておく必要を感じる今日この頃であったので、来年からは「ほぼ日手帳」を使ってみることにしました。昔の能率手帳に比べるとちょっとかさばるのが難点ですが、それでもぎりぎりストレス無く持ち歩けるサイズです。クマの型押しされた皮カバーも気に入っております。

さてさて、1年間使えるか、さらに翌年もとなりますかどうですか。

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2009.11.30

いちょう

Icho


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